息子が亡くなったときに一番思ったことは
「このような思いは他の誰にもして欲しくない」
ということだった。
何をすればよいのか、いつも考え続けています。
ここ数年は交通事故について
一般の人に考えてもらうにはいい映画ではないかと、
「0(ゼロ)からの風」の上映を
細々と続けています。
積極的に観たいという人は少ないけれど
きっかけがあって観てくれた人は、
殆どの人が観てよかったと感想を言われます。
最初は内容をよく知らずに、なんとな〜く観ていた感じの人も
次第に真剣な顔になってくる。
観て絶対損はないですよ。
まだ観ていない人は是非観てね。
と ちょっと宣伝。
またするの との言葉にもめげず、
続けていれば協力してくれる人も増えてきて、
力のない私でも、小規模ながらも継続して行えている。
これもみな、協力して下さる人達のおかげです。
この映画は
生命のメッセージ展 のシーンも出てくる。
その生命のメッセージ展の活動に
賛同してくれる人はたくさんいる。
でもある日、その中の一人にこう言われた。
「しかし 虚しい事業だな」
虚しい?
うーん そうかも。
死をマイナスと捉えたら そうかも。
もし私が、何事もなく普通に生きていたら、
同じように思ったかもしれない。
死をマイナスに捉えたら。
生きている人から学ぶことは沢山ある。
でもそれ以上に
亡くなった人から その人の生き方から
その原因や 環境から
その人の周囲の人達から
学ぶことも沢山あるのではないだろうか。
どちらかというと私は
後者から学んだことの方が多いように思える。
死は忌み嫌われるもの。
死は 悲しすぎるもの。
死は 終わり。
表面だけを見ていたら確かにそうだ。
息子の人生は 終わってしまった。
だけど死は
始まりのようにも思えるのだ。
また死は 始まりにしていかなければならない。
生命のメッセージ展に訪れて
新たに生きようと思う人も きっといるはず。
虚しいと言った人は
悪気があって言ったわけではない。
多分 表面の部分だけを見ていたからだろう。
会場に佇んで
内面を感じ取れる人は 幸いだと思う。
私も どんな場所でも
内側を感じ取れる人間でありたいと願う。
もうすぐ福島でメッセージ展が開催されます。
2月25、26日には大阪にて。
まだ行ったことがない方は一度、
行ったことがあるという方は何度でも、
メッセージ展に足をお運びください。
そして 感じ取ってくださいね。
- 2010/02/10(水) 14:22:11|
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一応 早起きを基本としているので
今朝は少し遅めの5時半に目覚ましを設定。
いつものように「げげげのきたろう」時計がテーマソングを歌い
携帯の目覚ましが定期的に鳴るものの
起きられず。
結局そのまま7時まで寝てしまった。
でもその間に
久しぶりに息子の夢を見た。
4、5歳くらいで
私の膝の上に乗って、私の横にある
興味のあるものに手を伸ばしている。
ああなんて 幸せな夢なんだろう。
夢で息子を見て 幸せ
っていうのが幸せ っていうのは
少し変かな?
やっぱり、幸せというのは
生きている相手に対して感じるものだろうに。
何故だろう?
生きていても死んでいても
息子は、
私に幸せを与えてくれる存在だからだろうか。
- 2010/02/05(金) 22:48:18|
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様様な事件や事故があるけれど
子どもの死、特に
虐待による子どもの死には
胸が痛んで仕方ない。
子どもは幸せであって欲しい。でも
幸せではない子どもも必ずいる。
この国だけでなく世界には
大きな悲しみが数え切れない程あるのだ。
以前は私もその中の一人だった。
今はとりあえずどん底からは浮上したけれど。
でも私などが想像できない程の
もっともっと大きな悲しみに比べたら
この程度(自分と同じ境遇の人のことを言っているのではない)
のことなど軽いことなのかもしれない。
不幸を比べて、
ああ自分はまだましだ、
なんてことを考えるのがいいとは思ってはいないけど。
悲しんでいるその人が
自分が世界で一番悲しくて不幸なのだと思っていれば
それは世界の中で一番悲しくて辛いことであるのに違いない。
以前は自分もそうだった。
でもそれもいつか変わる。
生きてさえいれば
自分が望めば必ず変われる。
だから誰かの手や
自らの手によって死ぬことだけは、
絶対に避けた方がいいに決まってる。
- 2010/02/04(木) 18:07:33|
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今年最後の日からずっと放置していた。
1ヶ月があっという間に経ったようでもあり、
長かったようでもあり。
今日は節分。
巻き寿司を食べたいという家族のリクエストに応えて
ちょっとだけ作る予定。
節分の日に初めて恵方に向かって巻き寿司を食べたのは
そのような風習を知らない人の方が多かったずーーいぶん前の、
私も若くて可愛?かった頃。
その時は私も知らなかった。
忘れっぽい私でも、
皆で同じ方向に向かって食べた
あの時のことは覚えてる。
あの時同じ時間を共有した人達は
今どこで何をしているのか
私のことを思い出すことはあるのだろうか。
(忘れておくれ)
と願ってもなかなかそうもいかないことだろう。
忘れて欲しいこと忘れたいことが
山盛りある人生ボロボロ
それでも節分の豆ポロポロ
味わって食べる。
- 2010/02/03(水) 12:31:25|
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あっという間に、今年最後の日になってしまった。
HPの更新も今年はさぼりがちだった。
忙しかったから というのもあるけれど
疲れていたり パソコンの調子が悪かったり
書けないときもあったり
で もう今年最後の日となってしまった。
でも今年最後だから
今年最大の思いを書いておくことにしようかな。
息子が亡くなってから 今年で12年が過ぎました。
実は今年 私は事故後初めて
息子に手を合わせたのです。
今までは形としては手を合わせていた。
法事があれば手を合わせ
葬儀の時も手を合わせていたけれども
あの時は何が何だかわからない状態のときで
とにかく自分はしっかりしないといけない
しっかりと送らなければならない
そういう義務感から
とにかく手を合わせ心から冥福を祈っていた
つもりだった。
そう つもりだった。
何がなんだかわからない状況から少し落ち着いてからは
手を合わすことが とても苦痛になってきた。
自分の子どもの冥福を祈って手を合わせるという行為ほど、
辛いものはありません。
なぜ 冥福を祈らなければならないのだろう?
頭の中には何故という言葉がぐるぐる回っている。
受け入れられない現実。
でも受け入れなければならない現実。
だから手を合わせていても形だけだった。
だけど今年、
事故が起こった時間に
私は初めて、心から息子に向かって手を合わせました。
そして詫びたのです。
生かせてやれなくて申し訳なかった。
至らない親で申し訳なかった。
事故の直接の原因は加害者にあっても、
私があの時危険さに気がついていれば
一緒に散歩に行っていれば
出かける直前ふと不安を感じた時に
散歩に行くのを止めていれば、
息子は死ななくて済んだはずだし
一緒にいた子も辛い思いをすることはなかった。
本当に本当に 申し訳なかった・・
どんなに謝っても悔やんでも、時間は取り戻せない。
私はこの出来事を
一生後悔しながら背負いながら生きていかなければならない。
だけどそれでもこれからも私は
一生懸命に生きていくことを誓ったのです。
そして 遺影と花の写真を撮りました。
命日には何人かの親しい方が お花を下さいます。
その花の写真を撮りました。
毎年撮っているのですが
その写真に今年初めて オーブが写ったのです。
今まで命日の花の写真に、オーブが写ることはありませんでした。
オーブは埃という説もありますが、埃とはいえない写真もよく写ります。
命日に撮った写真に写ったのは初めてだったので
とても嬉しくて。
息子が喜んでいてくれているようで。
それが気のせいであっても 埃でも
真実がどうであるかということも、
私にとってはあまり重要なことではないのです。
これからもいろいろあるだろうけれど
心配ない、大丈夫。
これからも、精一杯生きていこうと思います。
息子のように。
- 2009/12/31(木) 01:24:14|
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